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天皇はクソ

493 :名無しかましてよかですか?:04/02/12 10:14 ID:BkzpBt/3
>>480
>明治大帝からの慣例を破ることは国家の非常事態以外には、在ってはならないことだ。
慣例は慣例に過ぎない。制度上は天皇は最高権力者であり、その権力を振るう事も可能だった。

>個人の勝手に出来ることなどほとんどない。
まあ所詮は看板に過ぎないのが過去1000年間の天皇の実態だったが、明治大正昭和期の天皇は
建武期に次いで実権に手の届く立場にいた。やろうと思えばやれたのだ。やれなかったのでは
なく、やらなかったのだ。それも天皇の決断であり、その責任は天皇にかかるものである。

>日本の制度はそうしたものだ、江戸時代の将軍も前例に縛られた生活だった。
>実際の政策などは老中などが策定して、めくら判を押すのが将軍だった。
これも違うね。八代吉宗のようにそれなりに有能な将軍なら独断専行は出来た。
徳川幕府のシステムは徳川の血筋を守るためのシステムであり、どんな無能な将軍が出ても、
それを支えるようになっていた。結局有能な将軍などほとんど出なかったため、めくら判を
押していただけだ。

>明治政府も天皇には承認をする役割があるだけで、大臣たちがすべてを決めていた。
>日本の天皇制というものを、何処の国で誰に習ったのか知らないが、誤解をしている。
実態はその通り。権威と権力の2重構造が日本の政治の伝統だった。しかし、あいにくと
成文化された大日本帝国憲法はそんな2重構造を規定していない。天皇が最高権力者であり、
その権力を振るう事は制度上出来たのだ。
政治上の決定が天皇の名においてなされている以上、承認する役割だけだったと言う言い分
は通らない。安易にか盲目的にか実権者を怖れてか何らかの信念の下にかは知らないが、
めくら判であろうと押したのであればそれに伴う結果は天皇の責任となる。

>独裁者や暴君のように勝手な行動が出来る体制は、日本にはなかった。
>例外は織田信長ぐらいのものだ。
それは体制ではなく、伝統と慣習に過ぎない。だからその気になれる信長のような人物なら
独裁に近い事が出来たわけだ。

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